優ちゃん日記11−生きるー

計画停電に備えて18時くらいから夕飯もお風呂も済ませ、あとは寝るだけ、と着替え始めた23時近く、病院から呼び出しの電話。

「数値が全体に下がっていてキケンな状態です」

家族みんなで病院に向かった。

先にNICUに入ったyuka。
30分ほど遅れて到着したてつもNICUへと消えて行く。

ほどなくして「先生からお話があるって」と呼ばれた。


「心臓は元気だし、他の臓器もみな大丈夫なんですが、ただ肺が・・・」
肺の穴はふさいだが酸素がいきわたらないらしい。


胎児診断のむずかしさ。出てきて初めてはっきりとわかった病名。胸を開けてみてさらにはっきりしたいろいろなこと。


心房中隔に穴が開いていない。だからDrたちは非常に驚き慌てたそうだ。
普通は生きていない。生きられるはずがないのに、よく手術までもったと・・・


チームは一丸となってノーウッドを成功へと導いた。


「肺がダメだともう手の施しようがないんです。他が順調なだけにそれだけが残念で。」
心臓血管外科の教授で執刀医の宮地Drが辛そうに話す。



朝まで持つかどうかわからない状態らしい。



「バタバタした時にお話しするのもなんだし、まだ少し余裕があるときにご家族にちゃんとお話し、優ちゃんにも会ってもらいたくてお呼びしました。少し黄疸がでてますが、かわいいですよ」



「優ちゃん。ババだよ。がんばってるね。すごいね。いいこだね」
「優ちゃん。sakiだよ。かわいいねー」(sakiは初対面)
「優ちゃん。またきたよ」(相方はまたまた握手)
「優ちゃん、よかったね。みんなきてくれたよ」


みんなでかわりばんこに頭なでまわし、ほっぺつっついて、手足つまんで、さすって・・そのやわらかい感触に「かわいいねー」と。。。


そのときだった。


今まで酸素量が40ぐらいしかなかったのが、80近くまでぐんぐん上がり・・・!
血圧も68まであがり・・!
不安定だった心拍数もしっかりと安定!


「え・・!?」
驚いたのはyukaたちではなく医療スタッフたち。


「こんなことって・・!信じられない。本当にすごい。」
Drも不思議で仕方がない様子。何度も計器の数値を確認している。


「酸素量が80で安定し、血圧もこのままキープしてくれれば大丈夫。いや〜、これじゃ医者いらないよね」


緊張した空気が一気にゆるんだ。
笑顔がひろがり、笑い声すらこぼれた。


「優ちゃん、みんなに会いたかったんですね。家族のちからってすごいですよね。」
担当ナースも感慨深げ。


力強い言葉と、あたたかなゆくもりが優ちゃんに力を与えたのか。

「手当て」って言葉、そのものだと思った。


世の中には目に見えないものがたくさんある。
理屈じゃないものがたくさんある。
なんたって「人」は機械じゃないんだもの。



その後も安定し、私たちは一度帰宅。
夕飯が早かったせいか、おなかがすく私たちもまさに「生きてる」
午前1:30のラーメン餃子ってどうよ?



朝までもたないと言われた優ちゃんが、朝をむかえた。



「優ちゃんは本当に強い子だ」と相方。
「発達が遅くても、お勉強ができなくても、ちゃんと守っていこうね」と私。


「yukaが産むっていったとき、俺は生まれてくる子が無事でも、障害を持っていても、yukaにもしものことがあっても、全部受け入れる、育てる、って決めたんだ。そのことはママにもいったよね。いまさら確認なんていらないよ。ママも同じでしょ?」


そうだ。何をいってるんだろう。確認したかったのは「自分」だっだ。



・・・・・


お昼前に面会にいったyuka。
「やっぱりあれからゆっくり数値落ちてきてね、今は血圧が45ぐらいでふらふらしてるんだって。酸素量も65ぐらい。低いなりに落ち着いてるとは言ってたけど、血圧が40切るとダメだって。3連休もつかなぁ・・・。でもそれが優ちゃんのペースなんだよ。だからゆっくりでいいんだ。うん。すごいよ、優ちゃん。」言い聞かせるように、しかし力強く話すyuka。



優ちゃんはいま生きている。
自分の力で肺を動かし、心臓を動かし、生きている。
それはなんら私たちと変わらない。


危険な状態であることは事実だし、この瞬間急変することだって充分考えられる。


身を切られるほどの辛さと、深い悲しみの時がきたら、たくさん泣いていい。
今まで我慢していた分、yukaもてつもたくさん泣いていい。

人間、泣かないと前に進めないときってあるから。


だけど乗り越えて行くのは自分。
歩くのは自分の足。


そのために私たちは何にでもなる。

光にも傘にも、道しるべにも、靴にも、ゴハンにも。