sakiの結婚式

最強の雨男vs最強の晴れ女集団で迎えた当日(6月1日)は、晴れ女集団の勝ち。
無事に終わり、ほっとしています。



結婚式の前、sakiがこんなことをいいました。


「両親への手紙にママの離婚のこといったらダメかな。」
「うーん。どうなんだろう・・」
「でもさ、それをいわないとダメなんだよね」
「ま、事実だからママはかまわないけど」


「高校の時、私が家出したじゃない(お友達のところに泊ったんだけど)。その時、パパには怒鳴られると思ってたんだよ。そしたらパパに言われたことがすごく響いてさ・・」
「ん?」
「いや、あの時にね、パパが感情的に怒鳴ったり殴ったりしたらマジ家出をしようと思ってたんだ」

 

そのとき、相方が何をいったのかは、両親へのお手紙でわかりました。(抜粋)


「ママへ
ママは自分が離婚したことをとても気にしていたけど、私はさびしいよりもうれしいことのほうが多かったんだよ。
ママは倒れるまで働いてたけど、私との交換日記はずっと続けてくれたよね。
忙しくても、疲れていても、必ず書いてくれた。ありがとう。

これからはからだを最優先してください」



「パパへ
パパ、わたしを娘にしてくれてありがとう。
私は放課後、担任の先生をつかまえて「パパ」と呼ぶ練習をしました。

私が家出をしたときのことを覚えていますか?
あのときパパに「悲しかった。本当に悲しかった。だからもう二度とこんなに悲しい気持ちにはさせないで」といわれて、私は自分のしたことを心から詫びました。

それからパパとはなんでも話せる仲になりました。
パパとママのような夫婦になります。家族になります。」



母親に対する手紙の内容はだいたい想像がつきます。



でも、これには泣きました。隣にいた翔平ママも泣いていました。



相方が私と結婚をするときに、相方の両親は思春期のsakiとの関係がうまくいくかどうかを一番心配したと聞きました。

入籍したとき、「二人のお父さんになるつもりはないよ。一番近い第三者でいい。よき理解者になれればそれで充分」と娘たちにいった相方。


その体型からずっと「プーおじちゃん」と言っていた二人。

すぐに「パパ」と呼んだsaki
しばらく「おじちゃん」と呼んでいたyuka


気にした私に「呼び方なんてなんでもいいよ」


それぞれが「家族」になっていく過程で多くの悩み、喜び、泣き、笑い、があるのは、どの夫婦も一緒。


まだまだこれから。誰とも比べない「私たちらしい家族」になろう。