東京拘置所

小菅の駅には東京拘置所面会所への道順が張ってある。

それを見る限り、ぐるっとまわって行かなければたどり着かないらしい。


伯母の家はそんなところにあったのか・・・
子供のころはよく父に連れられて行っていたけど、知る由もなかった。


ドラマでよく見かける塀もそこにいけば見られるのだろう。


「いわゆる小菅の刑務所ってやつだよね」
「だと思うわよ」
「こっちにいくとあるみたいだよ」
「でもおばちゃんちはそっちじゃないわよ」


父の姉(92歳)は父が逝ってからというもの元気がなくなり、一時入院もし、入院中にいわゆる認知症がすすみ、耳もかなり遠くなったそうだ。


母を連れてお見舞いを兼ねて顔を見せに行ったのだが、「(家)覚えているわよ」と言う割には、「たしかこっちの道を入って・・・」と記憶が定かではない母。


途中で道を尋ねながらたどり着いた伯母の家の周辺は、昔の面影などほとんど残ってなく、唯一あるのは伯母の家の隣のそば屋。


このそば屋から立ち上るダシの匂いは甘美なもので、それが化粧品店をやっていた伯母の家にいつも漂っていた。
伯母の家はきらびやかな化粧品や雑貨に満ち溢れ、そのダシの匂いとともに、子供心にはとても贅沢に写ったものだ。



その匂いをかいだとたん私が一気に昭和30年代後半〜40年代に引戻されたことは言うまでもない。

音とともに、匂いというのも記憶を鮮明に呼び戻すものだ。


お店の口紅をこっそり塗っては、いとこたちに見つかり怒られ、きれいなハンカチからはどんな匂いがするんだろうと、これまたこっそり匂いをかいだら残っていた口紅がついてしまい、当然怒られ・・・


とにかくお店に行ってはイタズラばかりしていた。
何度みつかっても、何度怒られても、懲りることなくずっとお店にいた私。
それくらいその場所は「別世界」だったのだ。



隣にはカキ氷屋があって、ナナメ前にはお風呂屋さんがあって、路地には縁台が置かれ、どの家も周りは植木鉢で囲まれていた。
時間は果てしなくゆっくりと流れ、空はかぎりなく青く高く広かった。



そんな穏やかな場所と拘置所は共存していた。




認知症がすすんだ伯母の時間も記憶も、それはそれはゆったりとしたものだった。